ジェイクロのクスッと

日常の出来事、思ったこと、体験したことをクスッと綴る。趣味はカメラと旅行、時々カヤック。興味は歴史と経済とスピリチュアル。関心は健康。特化は別荘ライフと英語かな?

カテゴリ:健康 > 前立腺

 結論から言おう。まぁ、とにかく痛かった。。。いや、今でも痛いぞ。で、何がって話なんだが。。。コレが想定外だった。

 スペーサー注入の二日後。今度は、MRIとCTが待っていた。なんでも、治療用のデータ取りだという。どういう意味だ? わからんが、言われるままにするしかない。

 この時の最大の苦痛が、オシッコ我慢だった。

 膀胱にオシッコを沢山溜めてくださいと言われたオレは、ペットボトルの水を飲みまくって、MRIにのぞんだ。
 本来ただ横になっているだけのMRIが拷問だった。ものの十分もしないうちに、膀胱が破裂するかと言うほどに、尿意マックスに到達する。漏らすかも知れない。
 時折、足先が我慢しきれずに、プルプル来る。水を飲み過ぎたことを後悔しても、時既に遅し。

 どうしても我慢できなかったら、これを押してくださいと言われ、握るタイプのボタンを渡されていた。
 あと20秒我慢して、それでも終わらないようなら、このボタンを握ろうと思っていたオレに、あと二分ですというアナウンスが耳に届く。
 最初からもう一度これをやるのは、更に御免被る。その一心で、残りの二分を耐えに耐えた。

 終わるなりに、オレはトイレに駆け込んだ。

 この後CTなので、オシッコは我慢してくださいと言われたのだが、問答無用であった。ワラ。

 オシッコを多少なりとも放出したオレは、大分楽になっていた。が、オシッコが膀胱に足らなすぎてもいかんのだ。よって少し水を補給した。

 CTはものの五分で終わった。MRIと何が違うんだ?と思う が、ここでは、へその下と、両大腿部の側面に十字の赤印を着けられた。
 放射線治療時の位置決めの目印だと言うが、オレには悪魔の儀式の刻印に思えた。また、風呂に入ると印が消えることがあるので、十字が薄くなったら、自分で刻印を新たに油性ペンで書くようにとの指示を受けた。
 ここまでは、オシッコ我慢以外の苦痛はなく、一時の平安を得た。ワラ。

 さて、その翌週から、愈々放射線治療が始まった。火、木、月、水、金の都合5回である。
 間隔を空けすぎてはいけないのだそうだ。よって全て終わるまでに2週間弱となる。初回を除くと、朝一で予約した。
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 治療開始前。ドラゴン桜はまだ一分咲き。

 治療日のルーティンは以下の通り。これを5回繰り返すだけの、簡単なお仕事である。少なくとも、始める前までは、そう思っていたオレである。知らぬが仏とはこのことだ。

 1.朝、家を出る前に下剤を飲む。
 2.ウンコを出してから家を出る。
 3.病院に着いたら、セルフ浣腸する。
  (本来は家を出る前に浣腸なのだが、これは無理だ。途中でお漏らしする。)
 4.500mlのペットボトルを持参し、水分を膀胱にしっかり溜める。
 5.5分間、メドベッドに横たわる。
 6.会計して、帰宅する。

 1の朝下剤を飲む。これは無問題。2のウンコ出しも特段の苦ではない。下剤は前日も飲んでいるので、普通に出る。

 但し、元々トイレの近いオレ。病院へ着くまでの2時間に、駅のトイレに二度ほどは行く羽目になる。多いときは三度くらい行ったか。治療の回数が進めば進むほど、この傾向は顕著となる。理由は後述する。

 3のセルフ浣腸も、ルーティーンであるので、問題ないのだが、三分我慢しても出てくるモノはほぼ浣腸液だけ。始末が悪いのは、そのあと半日くらい、浣腸液だけ、不測のタイミングで屁の様に出てくることだ。何度かパンツを汚した。ザケンナよ。怒。

 4の膀胱にしっかり水を溜める。。。これが中々の苦行であった。
 浣腸時に、オシッコも出してしまうので、ここから再度水分を補給する。500mlが目安だ。メドベッドの三十分前に、ペットボトルを一本空ける。早すぎても遅すぎても良くない。

 5は十字の刻印をベースに照射の位置合わせをし、五分間寝ているだけなのだが、この時まずは、CTで膀胱のオシッコの溜まり具合をチェックする。
 基準値(前の週に撮ったCTの時のオシッコ量)に対して、80%以上ないと、一旦ベッドを下りて三十分くらいの待機となる。溜まらなければ溜まるまで、これを繰り返さなければならない。直前の水分摂取の量とタイミングによって大きく左右される。

 なので、目標としては、オシッコもれちゃうモードまで我慢しなければならない。暇そうな看護師姐さんとチャットする。気を紛らわしてその隙にオシッコを溜める。

 結果から言えば、一発OK回答は最後の5回目の時だけであった。これが中々のストレスであった。

 6の会計であるが、初回時に全額を支払った。というか請求がそのようになっていた。20万円弱であった。高額医療負担限度額なんちゃらで、内3万円程度は健康保険で返ってくる目算である。

 さて、問題はここからである。

 放射線照射はそのときは無痛なのだが、1時間も経つと、身体に異常を感じ始める。

 まずは、チンコの先っぽが痛くなる。最初のうちは、むずむずする程度であったのが、回を重ねる毎に、痛みの度合いが増した。言うなれば、尿道炎のような痛みとでも言おうか。ポッポと熱くなる感じがする。
 そして、それが尿意に変換するのだが、トイレに駆け込んでもオシッコが勢いよく出る訳でもない。
 夜になると、事態は悪化し、オシッコは出ないのに、尿意ばかりが増幅する。で、「う~ん」これでもかと言うほどにいきむのだが、オシッコはチョロチョロしかでない。これがかなりの苦痛なのである。まさしく、重度の排尿障害。

 もう一つが、前立腺の痛みだ。ちくんちくんと痛み出す。この痛みが、肛門周辺に伝播する。ウンコは出もしないのに、出るのか?出したい!出るだろ!といった感じになる。でも、いくらいきんでもウンコは出ない。

 夜間は、1時間おきにトイレに駆け込む。チンコ痛い。これでもかと目一杯いきんでも、チョロッと小便が出るだけ。水分控えめなので、オシッコは紅茶のような色に変色している。病気なのかな?

 こんな調子が1週間以上もつづいた。バドや写真クラブの会合もあったのだが、どちらもキャンセルした。

 兎にも角にも、外出できる状況にない。1時間もすると、チンコ先端が発狂してトイレに駆け込まなければならない。が、実際出るのはやはりチョロチョロ。通院時も同様だ。これが放射線治療というモノか。寝てるだけの治療の代償は小さくない。ワラ。

 4回目の治療時に、山チャンの診察があったので、チンコが痛いのでなんとかしてくれと言ったら、「ごめんごめん」と言いながら、鎮痛剤を処方してくれた。
 が、なんでも、治療後の6時間は薬は飲んではイケないという縛りがあったので(聞き違いかも知れないが治療の効果が薄れるとか言った様な気がする)、この日も薬が効き始める夜までは我慢の子となった。はぁ、しんどいぞ。
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 治療3回目の頃にはドラゴン桜も満開だ。

 最難関?の5回目が終わって、そして三日が経った。少しだけ、日常が戻りつつある。薬のおかげもある。チンコはまだ違和感がある。前立腺もまだなにかが挟まったような軽度の痛みがある。排泄障害は相変わらずだ。
 あと、1週間の我慢であろう。多分。。。

 次は三ヶ月後。山チャンの診察がある。PSAの数値を確認するのだ。おそらく問題はないだろう。

 オレのようなフェイズ1の患者にとって、この放射線治療が必要かどうかは、議論の分かれるところかもしれない。もしかしたら、いらんかったかもしれない。その代わりに3ヵ月に一回、PSAの検査をする。どちらかの選択となる。
 PSA10以下の場合、あえて調べない限り、身体的異常を自覚することはないだろう。多分、数値が20くらいになって初めてなんらかの身体的異常を来すにちがいない。

 オレのように三年経っても何の症状の変化、進展もないといった場合では、もしかしたら、寿命を全うするまで、前立腺癌が顕在化することはないのかもしれない。隠れ癌で終わる可能性は否定できない。
 だとすると、PSAを調べたせいで陥った罠だった、と言えなくもない。


 

 スペーサーってなんだ? 

 山チャンの、「ホントに治療するの?、もう暫く様子見でも良いんじゃない?」的なフリもあったのだが、そんな甘言を一蹴すると、「だよね~」と言われ、愈々5日間の放射線治療が決定した。

 5日間というのは、5回通院して都度治療を受けるというものであって、入院ではない。そこがこの治療方法の画期的な部分だ。
 以前検討した「小線源」なんちゃらという前立腺内に針を多数打ち込む手法が廃れつつある遠因でもあるようだ。

 が、その前にまだ関門が待ち構えていた。スペーサーを前立腺と直腸の間に注入するという手技?である。Spacerという意味からすると、空間を作るということだろう。
 で、山チャンの説明を聞くと、これはジェルなのだが、放射線が直腸に直接当たらないように、ガードする為の措置だという。放射線による2次災害(出血等)を防ぐ為だ。もっともな話ではあろう。

 手技(手術ではない)の日にちが決まると、その準備は、その5日前からスタートした。

 その準備内容が以下の通りだ。

 毎朝、食前に下剤を飲む。ユル便を誘発するらしい。まぁ、なくても、普通に出るんだが、どうしても飲めという。

 で、この間食べてはいけないモノとして、生野菜、乳製品、フルーツ、炭酸飲料系(ビールを含む)の4点が指定された。こんなに制約があるのか。。。と言う感想。ワラ。

 これは後から知ったのだが、手技の当日までかと思っていたこれらの食事制限が、実は放射線治療が終了する3週間後までの縛りだという。ワラ。暫くビール飲めないじゃん。。。というがっかり感。

 さて、スペーサー注入当日。少し早めについたオレがまずやったのが、トイレに入ってセルフイチジク浣腸だ。イチジクは東大指定銘柄である。浣腸なんぞ、小2の時以来だ。ワラ。

 便器に座るも、イチジクの先端が肛門に入らずに苦労する。潤滑性がないのだ。結構痛いぞ、無理にツッコもうとすると。これは工夫が必要だ。が、要は無理矢理ねじ込む以外ない。

 後で、通りすがりの看護師に聞いたのだが、食用のオリーブオイルが良いですよ、とのこと。これは試すしかないが、オリーブオイルは盲点であった。何故食用なのか。。。後で誰かに舐めて貰うために違いない。ワラ。

 なんとか浣腸液を肛門内に注入し、暫く便器に座って我慢する。三分くらい我慢しただろうか。(多分一分だろう)小気味よく浣腸液を逆噴射する。液が噴きでた後、申し訳程度に朝のウンコの残りカスがつづいた。
 
 第一関門をクリアして待合室でしばらくテレビを見ていると、医師に呼ばれた。名前は忘れたが男の先生だ。そして横にいた担当看護師の咲子(仮名)に、なんやらかにやら、この先々の治療の手順の説明を受ける。

 前回来たときに聞いていたが、キンタマと肛門の間、所謂「蟻の門渡り」という部位に、針を刺して、ジェルを前立腺と直腸の間に注入する。聞いただけでも、痛てぇだろ。ワラ。

 そして、まもなく施術室に案内された。小線源の手術をする部屋だが、今は本来の目的には使われていないようだ。
 咲子(マスクをしていて顔全体は見えないが、美形の部類だろうか、いや騙されるなー個人の感想です)に言われるがママに、股間に大穴あきの紙パンツを穿く。咲子は点滴の注射針をオレの右手にぶっ刺す。
 そして「こっちよ~」と、手術台に案内される。出産するときに妊婦が載るような、左右に足置きがあるベッドに横になった。いよいよオレも、今日出産を体験するのか?

 いや、これから何プレイが始まるのか? オラちょいとワクワクすっぞ。

 まずは、点滴が始まる。足置きに足を乗せると、出産態勢だ。咲子がオレの股間に立つ。ワラ。何をしてくれるんだ? ワクワク。

 「はーい、先生が手技するときに、タマタマが邪魔なので、どけましょうね~♡」と咲子は言うと、オレのキンタマをチンコの方へ引き上げると、何やらガムテープでキンタマの固定を始めた。アレやらコレやらテープを容赦なく貼りまくると、「じゃぁ、次はチンコです。途中でオシッコしたくなったらアレなので、チンコにホースを繋ぎますね~♡」となった。そうくるかい。

 咲子はオレのチンコと戯れつつ、なにやらゴムっぽいモノ(咲子曰く「コンドームのようなモノ」)を亀頭に被せていく。M男なら、この辺で勃起するんだろうなぁ、とか思いながら、無反応なオレのチンコ。少しは男気をみせんかい、コラぁ。と思ったが無理。

 「オシッコしたくなったら、出していいですよ~」と言われたが、果たして出るだろうか。チンコとゴムの隙間から漏れたら、ベッドが水浸しになる。いいんか?

 医者が手技室に入ってきた頃から、麻酔薬の点滴が始まった。「お酒は結構飲みますか?」「結構飲みますねぇ」「あーそうなんだぁ」というたわいもない会話。。。麻酔量をどのくらいにするか測っているらしい。
「では、始めますね」という医師の言葉と共に、股間がチクリとする。

 まぁ、麻酔が効いている感じはなかったが、それほど痛いということでもなく、淡々と作業は進む。もう一度チクリとしたが、多分ジェルの注入が始まったのだろう。
 浣腸で緩んだ肛門にプローバー?(ジェルが正しい位置に正しい量が注入できるようにするモニター)が挿入されたことは気が付かなかった。

 ものの二十分くらいだったろうか。されるがママにしていると、やがて手技は無事終了した。

 普通に歩けるんだが、咲子に移動用のコロコロベッドに乗り移るように促されると、そこからリカバリールームへと連れて行かれた。1時間ほどそこで安静にしていてください、という意味だ。オレは大丈夫なんだが、人によっては暫く朦朧となるらしい。
 咲子が、肛門から少し出血があったと言った。まぁ切れ痔の類いだろう。

 三十分くらい、そこで居眠りしただろうか。ぼうっとした感じは全くない。まだ付いていた点滴が終了した。オシッコしたくなったので、繋がれたままのホースの中に放尿した。漏れたらどうしようと思ったが、別の看護師に、しっかり繋がってますよ~、と言われて思い切った。
 カテーテルもこんな感じなのかなぁと思ったが、カテーテルは強制排尿だから、ちょっと違うのかも知れない。

 そこから二十分後、咲子がキンタマテープと亀頭ホースの取り外しにやってきた。陰毛にもしっかり張りやがったガムテープを咲子は無理矢理に剥がそうとするものだから、痛ぇのなんの。

 「イテテテ」
 「だって、しょうがないでしょ」
 「そういうもんか?」
 「。。。。」

 こうして身柄拘束から解放されたオレは、ようやく無罪放免となった。

 この日のコース、保険カバー率30%で、支払い総額は6万円なり。ジェル注入と咲子のサービスで6万。。。まあいいだろう。
 これを高いと見るか安いと見るか、それはあなた次第です。ワラ。

 帰りがけ、本郷三丁目の駅前のドラッグストアでイチジク浣腸十個入りを買い込み、帰路についた。セルフ浣腸は、この先5日間の治療日の朝のお勤めである。

 このあと股間内部に何かが挟まったほろ苦い感じと、刺された針の痛みの余韻が数日つづいた。そして、さらなる試練がオレを待ち構えていることは、このときはまだ知る由もない。

 

 前立腺癌の治療を東大放射線科で受けるには、予約が必要であった。電話で話すと、紹介状やら診断書関係の資料をファックスするように言われた。
 プレパラートとかいうCDだかフロッピーだかを郵送する必要もあったが、なんだかんだで2週間後には診断の予約が取れた。

 東大病院。。。オレも愈々東大に行く身分になったかという感慨。。。上野不忍池の裏手である。病院が東大キャンパスの中にあり、その東大自体がこんな場所にあるということを初めて知った。

 担当医は山チャン(仮名)である。診断時、何故か名刺をもらった。オレの名刺も渡した。オモロイな、山チャン。先々の予約も、直メールで良いという。オモロイぞ。そっちの方が、話が手っ取り早いということだろう。さすが、東大だ。ワラ

 問診の結果、MRIと骨シンチ(骨に転移がないかを調べる)という検査を受けることになり、その後に、どっちでもいいと言われたのだが、今いまの状況を把握するべく生検を受けることに決した。
 治療方針はそれらの検査の結果を受けての判断になるという。で、只痛い目に遭うために、本郷くんだりまで出掛けるのはいやだったので、地元でやる、という話になった。

 年を越した後、MRIと骨シンチの検査を東大で受けた。それらの結果が出るのを見計らい、生検の予約の為に地元の有紀のところに戻った。
 そして相談の結果、10日後の2月4日からの2泊3日コースとなった。実際は、ガクブルである。あの痛い痛いをもう一度やるのだ。ざけんなよな。

 入院当日朝、幸い個室が取れた。個室料金、一日7,700円で3日なので宿泊料金はしめて23,100円なり。この時点で、既に覚悟(諦念か)が出来ていたと思う。好きにしろ。ワラ

 Day1
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 朝10時に入院手続きを済ませる。部屋に案内されると、オレは気分オフモードに突入。看護師のおばちゃんがやってきて、早速点滴が始まる。何で点滴するのかは理解していない。
 やがて昼飯を与えられると、しばし休憩。Wifiはあるのだが、オレの個室は電波が悪い。そうこうしているうちに、死刑執行人がオレを呼びに来た。

 泌尿器科の手術室には、死刑執行立会人のオバチャンが嬉しそうに出迎えてくれる。「はい、そこのベッドに横になって、ケツ出してぇ」とか言われながら、言うとおりにすると、オレのケツをピシャピシャ叩く。
 やがて、死刑執行人の有紀が嬉しそうに入ってくる。「はい、じゃぁ始めましょう」的なコトを言うと、ヤツは、容赦なくオレの肛門内部に指を突っ込む。すると、何やら塗りたくる。まぁ、麻酔薬だろう。その後、麻酔の注射だ。オレは、多めによろしくと懇願する。「あいよ」と有紀は愛想良く返事する。ワラ

 今日の仕置きは12発。前回と一緒だ。なんだかわからんモノがケツの中に入ってくる。「いくよ」「あいよ」の合いの手と共に、バチンと音がする。「うっ」と思うのだが、前回ほどの痛みはない。小娘にやられている分、多少なりとも気分が和らぐのかもしれない。ワラ

 見たことのないモシャモシャ頭のオヤジがいつの間にか来ている。有紀のお目付役に違いない。オレは練習台なのだ。ワラ
 ホチキスのパチン、パチンという音がつづく。12発は結構長い道のりだ。プローバーだかなんだか分らんが、ツッコまれている棒?の先端がホチキスを打つ場所を微妙に移動する度に、変な痛みを感じる。

 その内、肛門の中が、ホカホカしてくる。タバスコを塗りたくられたような、ポッポとする強烈な刺激だ。ここは我慢のしどころ、山場だ。
 それでも有紀のおかげかどうか分らんが、進行はスムーズだ。ところが、なんかの拍子に、オレの前立腺君は我慢しきれずに出血した。有紀が、「血が出た~」とか言っている。まぁ、前回も出血はあった。なので、そういうもんだ。

 なんとか12発打ち終わり、棒は無事引き抜かれた。そして大量に血がでたので、「止血しま~す」とか有紀がいうと、大量に肛門に包帯をツッコまれた。まぁ、これはオプションサービスだな。ワラ

 ここまで、ものの15分程度であったろうか。無罪放免になる。どうにかして、起き上がろうとして、股間を見ると、今度はチンコから出血しているではないか。チンコから血だよ。どうすんだよ。そういえば、ケツに包帯をツッコまれているときに、チンコの先端に、ぬるっという感触があった。
 有紀の姿はもうなく、仕方なく立会人のオバチャンに、チンコが大変だ!と訴えた。ワラ すると、オバチャンは、ぞんざいにチンコについた血を拭き取ってくれたのである。

 処置室を出ると、部屋付きのオバチャンが、オレを迎えに来てくれた。ケツの中が熱い。。。何故かは知らんが、車椅子に載せられ、病室へと戻ったのであった。
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 部屋に戻ると、また点滴タイムが夕方までつづく。生理食塩水と抗生物質系のパックの2本だ。そして、とにかく水を飲めと言われた。前立腺から出血した血が固まると、小便が出にくくなる、という。出が悪くなると、今度はチンコ串刺しの刑がまっているとモシャモシャに脅される。ワラ

 幸いにも、小便はひっきりなしに出た。が、有紀にツッコまれた血の包帯が、尻尾のようにケツから垂れ下がってくる。これが邪魔だった。自分でツッコミ返す勇気はない。
 血は止まった訳でもなく、パンツは血まみれだ。

 夕方、「あとで詰め物を取りに行くね~」と言っていた有紀がやってきた。早速、これなんとかしてくれと言って、ようやく尻尾を取り除いて貰ったのである。

 小便の度に血尿がでたが、大きな出血は、その日のうちには止まったようであった。

 Day2

 二日目は、終日点滴である。生理食塩水と抗生物質的なヤツを時間を掛けて注入する。暇と言えば暇である。昼寝するか、メシを食うか、仕事の電話会議を傍聴するかくらいしかやることはなかった。

 午後に有紀がきた。この病院に来てまだ半年なのに、上の命令で2ヶ月後には別の病院に転勤することになったと言った。実は、知ってた。が、オレは知らんふりして驚いて見せた。
 で、後任は、美人の女医が来るとも言った。なので、有紀も美人だと言ったら、これ以上ないくらい顔を真っ赤にして、「いやいやいや、私なんか、レースにならないですぅ」と即座に否定した。いや、オマエ、その顔の赤らめ方から察するに、勝負してんだろ。。。とはさすがに言えなかった。
 初いヤツだなぁ。女医ではあるが、ちょっとペットにしたくなった。ワラ

 Day3

 この日は、朝飯の後の退院の手続きだけだった。日曜の朝なので、会計は後日。2泊3日の旅の総費用は、5万7千円なり。あとで、請求書が来て知った次第。 

 有紀に2週間は飲むなと言われた酒を、その夜は飲んで退院を祝った。とりあえず、最大の難関をクリアした。

 微妙にあった血尿は、4、5日で収まった。

 そしてこれは2週間後に分った話であるが、癌細胞に成長の兆しナシ、3年前の生検時の結果と変化無し、という結論であった。毎日、ブロッコリーを食っているせいかもしれない、と思った。
 勝者はオレである。ワラ。
 

 

 

   前立腺癌の治療方法の選択に悩む

 前立腺癌をモニターする指標にPSAというのがある。オレ的健康診断オプションアイテムである。

 かれこれ3年ほど前だった。このPSA値が異常値を示した。このとき医師に、精密検査を勧められた。それが、生検と言うヤツだ。

 ケツに得体の知れない機材?をぶち込んで、直腸内から、前立腺に向かって針をぶっ刺して、組織を採取する。

 2泊3日の入院検査というコースだった。検査で入院という目新しさもあって、やってみることにした。が、結果的にはこれが、糞痛かった。
 言うなれば、ケツの穴の中で、ホチキスをぶっ刺されている拷問なのだ。ワラ。刺さる度に軽い衝撃と共にバチッと音がして、やがてタバスコを塗りたくられたようにポッポとする痛みが襲って来る。こんなの、聞いてねえぞオラ。
 このとき思ったのが、これを毎年とか無理、精々3年に一回にしてくれと、心から思ったのだった。

 で、この度、その3年の賞味期限が切れた。

 半年前に、担当医が有紀(仮名)という若い女医に代わっていた。ちょいと何かを言うと、ポッと顔を赤らめるウブな小娘だ。ワラ。
 で、コイツが、盛んに、「今のうちに、前立腺取っちゃいましょう」としきりに勧めてきたのである。おいおい、簡単に言ってくれるなぁ、というのがオレのリアクションだった。しかもそれまでの「様子を見ていきましょう」という既定方針の180度転換である。

 治療の選択肢は、腹を掻き切って前立腺を摘出するか、ロボットを使って、腹に3カ所くらい小さな穴を開けて遠隔操作で前立腺を摘出するかの2択だという。


 ニワトリでも捌いて、やきとりでもするのか? ダヴィンチなんとかというロボット援用手術だ。

 実はこの時点で、治療方法には大まかに言って、全摘外科手術と放射線ニードルを前立腺内に埋め込む(小線源なんちゃら)という2種類の方法があることを知っていた。
 あとは、放射線治療というのがあるが、こいつは末期に近いケースで用いられる治療法で、フェイズ1のオレにはちょっと違うと考えていた。

 が、有紀のヤツ、全部摘出しか治療方法はないと抜かした。で、オレはコイツ、上からの指示で、ロボット手術設備の稼働率を上げろという指示を受けていることに気が付いた。なので、そっちに誘導したいのだ。誰が上なのかは知らんが、闇の組織であることは間違いない。

 調べてみると、全摘とは、前立腺以外に、精嚢も取り除く。YouTubeで手術のシーンも観た。糞痛そうだ。しかも2~3週間の入院だ。それだけで済むはずもない。ワラ。

 今更あってもなくても良いのだが、前立腺と精嚢を取られて、女体化したらどうするんだ?という一抹の不安が横切る。しかも、術後しばらくはオムツ生活というではないか。排尿のコントロールが難しくなるのだという。80ならまだしも、まだ63才だ。しかも仕事もしている。

 まぁ、全身麻酔というのも怖いし、ちょいと全摘はないなと考えた末、小線源というニードルを60本くらい前立腺内にぶち込む治療法しかないなと考えるに至った。
 3ヶ月に一回のPSAモニター(なんとかサーベランス)も面倒だ。有紀に治療を勧められるのも、なにかの縁であろう。今がタイミングなのかと思った。

 翌日に有紀の診察を控えた夜のこと。偶々YouTubeで前立腺癌の全く別の治療方法の動画を目にした。それが、IMRTというヤツだった。一言で言えば、放射線治療である。
 なのだが、これは5日通えばいいという、画期的な治療方法であった。しかも一回の治療はものの15分程度。ベッドに横たわっていれば良いだけの、メチャ簡単な治療だ。
 これしかないと思った。

 翌日、有紀の診察だった。そのとき、IMRTでやる、と宣言したのである。ヤツはそんな治療方法があることを知らなかった。そんなのあるんだ的な反応である。オマエ、知らんわけないだろうと、オレは心の中で罵ったが、小娘は本当に知らなかったという可能性は排除できない。ワラ。
 てな訳で、オレは有紀に、紹介状を書いて貰った。

 行き先は、東京本郷の東大病院であった。


 ダヴィンチとこれを比べてみろって話だ。見た目はほぼメドベッドである。ワラ

 丁度これを書いているとき(2月21日)、俳優の西郷輝彦さんが、前立腺癌で死去したとのニュースが届いた。フェーズ4だったという。医療技術の進んだオーストラリアで治療はしていたと言う。75才でも死ぬのかという感想をもった。
 ご冥福を祈ります。 
 

 

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