ジェイクロのクスッと

日常の出来事、思ったこと、体験したことをクスッと綴る。趣味はカメラと旅行、時々カヤック。興味は歴史と経済とスピリチュアル。関心は健康。特化は別荘ライフと英語かな?

カテゴリ: 現実逃避・夢

 外に出るなと言われ始めてもう1ヶ月くらい経ったのだろうか。GWも家でじっとしていろと言うお触れが出ているが、我慢できない民も多いようだ。吉祥寺界隈の賑わいも報道されている。ワラ。何が我慢できなくて、外に出たいのか、年寄りには良くわからない。家が狭すぎるのか、家族との人間関係が我慢ならないのか、隣人がウザいのか。
 家でじっとしていることがさほど苦ではない俺は、では何をやっているかというと、まぁネットサーフィン的な暇つぶしだろうか。こういうとき、何か生産的なことが出来る奴が勝ち組なのかもしれないが、今更勝ち組を目指しても意味がない。そもそも何を持って勝ちとするのか、今は曖昧になってきている。

 まぁ、ネット見ているだけでは芸もないので、読書をしてみたりもしている。中古書籍を買い漁ってみるのもいいかもしれない。昨日は、「神との対話」という文庫本が届いた。900円か200円くらいで買えたが、モノとしては、新品に近い。スピ系YouTuberのお勧めだったが、何が書いてあるのか、若干理解できない。内容としては、どこかで聞いたようなスピ関連なのだが、字が小さすぎるし、字体も読みにくいという代物だ。まぁいい。機会があれば、この本のレビューをしてみるつもりだ。

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 あと、考えているのが、写経だ。ペン習字の練習にもなる。何が書いてあるのかもう一度おさらいするのもいいだろう。
 奈良に一度仕事で行った帰りに、東大寺で写経セットを買った。そのセットを家に持ち帰り、家族で分担写経して、東大寺に送った。もう8年くらい前だと思う。
 案外アレは、家族の記念としては良かった。黒達はもう向こうの人になったし、ダンディもいなくなった。でも、アレはこの世に残っている、そういう思いになるからだ。東大寺の場合、写経はすべて、半永久的に、大仏の胎内に納められるという。これは、絶大なサービス?だ。
 ちょっとみんなにお勧めしたくなる、家族で家で出来るお遊びと言えなくはない。

 般若心経と言えば、京都の僧侶がリズムをつけて、経を歌うという動画がネットで流行っているようだ。まぁ流行なのかはさておき、海外でも注目されているというのが嬉しい。般若心経をそのまま読経で聞くと、葬式感が半端なく、気が滅入ってきそうなくらいだが、これにヒーリング調?のリズムが付くだけで、雰囲気が様変わりする。悪くない。

https://www.youtube.com/watch?v=wyUaRYLTbr0





 

 俺は上の方から眺めている。どうやら夕闇が迫っている。緩い右カーブの坂道を自転車に乗ったJKが下っていく。後ろから黒っぽいミニバンがやってきた。するとJKの進路を阻むように幅寄せすると、坂を下りきった路傍の草地にその車は停まった。
「危ねえな。自転車をやり過ごしてから、そこに停まれよ」と俺はつぶやく。
 が、そのJKはなんなくその車をかわすと、すっとその先に続くまっすぐな道へと消えていった。

 そこに停まった車は、いつの間にか消えていなくなり、また同じようは焦げ茶色のミニバンがやってきて、同じ場所に停まった。すると誰かが降りてきて、荷台から自転車を下ろし始めた。もう一人降りてくると、その二人は自転車に乗った。
「何をしているんだ?クルマをそんなところに置いて、自転車かよ」と俺は思った。
 自転車は走り出す。あたりは暗い。ライト点けろよ、と思う。するとライトが点いた。
 突然、だが当然のように、俺も自転車に乗っている。坂を下る。そして、その二人乗りの後を追いはじめた。

 ここで気づいた。俺は、学校の部活帰りのJKである。通学用のママチャリを走らせている。坂のその先のまっすぐの道は、黄土色のしっかりした造りの石橋である。真っ暗だ。ライトの明かりも心許ない。
 気がせいているのか、前をゆく自転車を恐る恐る抜いた。誰が乗っているのか、確認のしようもない。先を見ると、何かがいる。人なのか? いや違う。猫だ。数匹いる。橋の縁に、一匹の大きな猫が止まり木に止まるフクロウのようにじっとして、こっちを見ている。目が合う。
 何事もなく橋を渡りきると、更に暗くなった。やばいな。まっすぐ道が奥の暗闇に続いている。怖いなぁ。暗くなる前に、なんでさっさと帰ってこなかったのだろう。そんな愚痴が思い浮かぶが、言ってもしょうがない。さっき抜いた自転車の二人組が怖い。振り向くと、ライトがずっと付いてくる。無言である。

 所々に家があるようだが、どの家も暗く人のいる気配さえしない。自分の家は、どこにしようか。おかしな事を考えている。早く、どこかに逃げ込んだほうがいい。が、どこにする? 時々現れる暗い十字路を曲がることもなく、まっすぐ進んだ。後ろのライトも付いてくる。やばい。

 とうとう、突き当たりにやってきた。見ると右に曲がる道がある。曲がった。すると、そこだけ、街灯があって明るい。誰かの影が見えた。あらぬ方を向いて大きな声でなにか叫んだ。「つかれた~」とか、そういう類いのたわいもない言葉だ。その影はすぐに消えた。そこには誰もいない。

 映像はそこで終わった。

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 夢は毎晩見るのだが、大概は目覚めた瞬間に忘れる。どうやっても思い出せない。

 しかし、今朝見た夢は、相も変わらず支離滅裂、脈絡無しの断片的な夢だったが、印象的な風景とともに、目覚めてもしっかりその映像が残った。

 どこかの部屋。ログハウスのようだ。壁際に、宿り木があって、そこに大きなヘビがいる。アオダイショウのような色と文様。四角いクリスマスリースのような形状にとぐろを巻いて、宙にぶら下がっている。伸ばしたら7,8メートルはありそうだ。ウエッと思うが、顔がどこか探すと、右の方にあった。赤っぽい目がこっちをみる。何もしなければ大人しくしていそうだ。なんとなく安心する。これなら、この部屋にいても、大丈夫そうだ。背後に誰かがいたような気がする。とりあえず、ここが落ち着き場所のようだ。

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 どこかに旅行に来ていた。自然豊かな田舎である。曲がりくねった坂道を歩いて登っている。後ろを振り向くと、とても美しい山岳風景が目に入った。ウワッ、なんてキレイなんだ。こんなに美しい場所がまだ日本にあるのか。そんな新鮮な驚きをもつ。
 富士のような形の山々が、青々として、二つ、三つ折り重なっている。そして一番奥の遠方に、雪で白い富士山が半分雲で隠れるように霞んで見えた。神々しい。これは、写真を撮らなければ、と思って、カメラを取りに坂道を走って登ろうとしたが、何故かそこで、撮っても仕方ないかと考え直した。

 ドライブをしていたようだ。何故かクロジイ(久々の登場)がそれまで運転していたのだが、俺が運転を代わることになった。ステアリングを握ると、随分上の方にあって、前が見えづらい。「なんだこれ、ステアリングの中から前をみていたのか?」と言いながら、位置を調節すると、クロジイが「そうだ」と言った。マジかよ。
 しばらくクルマを走らせていると、後ろから商用トラックが執拗に付いてくる。振り切ろうにも振り切れない。そこまでスピードを出しているわけでもない。いくつかの通りを走り抜けると、突然、カーブのきつい狭くて急な坂道にやってきた。路面は極端にうねって曲がっている。
 こっちは300馬力のクルマだ、余裕で登れるさ、と思ったら、力が足りない。登り切らない。1速に落としてもダメだ。結局クルマは坂道で止まった。みんな降りろ。(誰が乗っていたのか思い出せないが、二人は乗っていたはず)あとは降りて押すしかない。車を降りると、後ろに付いてきていた商用車の運転手が降りてきて、「ほうら、そうなるだろ」というふうに俺を見てあざ笑う。

 クルマが坂を登り切ると、そこで何やら作業をしなければ成らなくなった。クルマに積んでいたらしい長い木材のような裸の木の幹を、どうにかしなければならない。何故か直立している。5メートルくらいの長さだ。連れの誰かがいたのだが、そいつが誤って、その木を誰かの家の庭(店の駐車場かも知れない場所)に倒してしまった。なにやってんだ、と思ったが、その倒木が、どうにも重くてデカいので、どうにもならない。
 すると、道の反対側がその土地の持ち主だったと見えて、そこのおばさんが、コーヒーでも飲まない?と声を掛けてくれた。「いや、さっき飲んできたばかりなんで」と返事する。飯もさっき食ったばかりだし。コーヒーいらないんだけどと思いながらも、何か商売をやっているような店舗の中に入った。まぁ、こういう助け合いというのは悪くはないなどと考えている。

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 このあたりで、どうやら夢は終わった。珍しく、目覚めても映像が消えてなくならない夢だった。こういう覚えている夢の正体とは一体なんなのか、誰かからのメッセージなのだろうか。自分の潜在意識からのそれという可能性も含めての話だが。それとも、なにかのお告げなのかな。
 夢の中で、出てくる美しい景色は俺の場合、その殆どが海岸または海なのだが、今日に限って、山でしかも富士が出てきたのが意外だった。富士を見ると、やはり縁起がいいのか?一富士二鷹三茄子。ワラ。

 ところで、こういう支離滅裂な夢を見ると思い出すのが、村上春樹の異世界だ。パヨクの村上は好きではない。が、時々思うんだが、あのジイサンの物語は、こういう訳のわからない夢をつなぎ合わせた飴細工なんじゃないかと。是非、今年こそは、ノーベル文学賞をとって頂きたい。もう少し、文章が上手になってからでも遅くはないのだが。ワラ。


いまいちばん美しい日本の絶景
エムディエヌコーポレーション
2018-08-23

 某スピリチュアル姐さんによると、これからは自分がやりたいと思ったことをやる人生を送りなさい、と言う。それが出来れば、そうしたい。出来ないから、今の仕事をやっている、親の仕事を継いでいる。そういうことなのだが、本当にそういう世の中がやってくるのか。
 イチローのように自分の好きな野球でトコトン勝負して成功して、引退してからも自分のチームを作ってまで野球を楽しんでいる。こういう人のようになれというのだろうが、こういう天才にして努力家の真似を凡人の我らが出来るはずもない。彼はある意味ヘンタイの域に達しているから、ああいうことが成し遂げられた。つい最近も、MLBのオールタイムベスト新人かなにかの賞をもらっていたと思う。

 ここで問題だ。そもそも好きなこととは自分にとって何なのか。趣味か何かということか。趣味で飯が食えるのか?それとも食うことすら無視して好きなことをやれということなのか。しかし、その好きなことがなんなのかがよくわからない。思いつかない。俺は何をやっているときが一番楽しいのだろう。BBQか?ワラ。
 スピ姐は言う。ヒントは子供の頃に楽しかったことを思い出せと。それほど楽しい思い出もないが、そういうことなのか。

 近所の仲間と暗くなるまで缶蹴りして遊ぶこと、ガラクタを集めては七夕飾りを作ること、少年野球で泥んこになってタマを追いかけること。。。まぁ、遊びだよなぁ。こういうことしか思い浮かばない。楽しかったことというより、今振り返って懐かしいことが思い浮かぶだけなのかも知れない。
 今の趣味は何だ? 旅(トラベルトレーラー)、アウトドアスポーツー現時点ではカヤック、写真撮影といったところか。ある程度経済的に余裕ができてからやったことと言えば、菅平の山荘購入、小説の自費出版というのが思いつくことである。

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 今のコロナの大騒ぎで言われていることがある。世の中は、コロナが終息しても、コロナの前の社会には戻らない、と。無駄な経済活動は減り、貨幣システムが新しくなり、社会はグループ化する。これがどういうことなのか、イマイチイメージできないが、悪い面ばかりではなさそうで、自然環境は改善され、極度の富の集中は是正されるとも言う。
 そういう中で、人々の連帯が深まり、助け合いの社会が到来する。マスの中の扇動される個ではなく、その個一つ一つが主人公であり、主役である、情報発信し判断する主体であるというのだ。
 もしかしたら、そういう環境の中での、好きなことをやって生きるということなのかもしれない。

 FRBや欧州連銀が、ジャンク債までも市場で大々的に買い取るという行動に出ているらしい。これが何を意味するのか。おそらく、行き着く先は、ハイパーインフレ或いは通貨崩壊。ドルもユーロも紙切れになる。世界大恐慌。
 90年前と違うのは、インターネットやSNSが普及して、国境を超えて個々が繋がっている。そこが今の時代の強みかも知れない。
 で、俺がやりたいことは何なんだ?ないんだよなぁ、寝ることと飲むこと以外。ワラ。。。おっ、ちょっと待て。今降りてきたのは、「人助け」と「人を笑わせる」だ。結局は、そうなのか? それじゃぁ、やっぱり食えないんだが。ワラ。仕方ない、もうしばらく考えてみるか。




 今朝見た夢は、ゴルフ。もう7,8年はやっていないんだが。まあいいか。
 コンペのようだ。一番ホールのティーショット。ティーを刺してボールを置いたら、目の前に手すりのようなステンレスの柵がある。ん、おかしくないか、とも思わない。だが、どうみても、その手すりの隙間から、ボールを打ち出さなければならない。まぁ、ゴルフというモノはこういうものだ。打ち出せるかなぁとひと思案。
 手すりはショッピングモールの二階にあるようなタイプだ。で、ボールと手すりとの距離は5cmくらい。近い。しかもボールの高さにも手すりのバーがきていて、ボールはバーに当たる可能性が高い。こりゃ駄目だと、ティーの位置を変えるのだが、どこに刺しても、バーに当たりそうだ。
 おかしいなぁ。先に出た前のパーティーは、これどうやって打ったんだよ?とか騒ぎながら、途方に暮れている俺。しばらくすると、気がついた。これ、クラブ振ったら、バーに当たるじゃん。振れないじゃん。どうすんのこれ。まったく、訳わからん。よく見ると、ティーグランドはどこかの建物内の二階とおぼしき高さのところにある。フェアウェイも茶色っぽくて、体育館か工場の屋内のように見える。
 そうこうするうちに、外国人の女(クラブのマネージャーか?)が現れて、こっちこっちと、俺を案内する。他にも誰か一緒にいたかも知れない。何故か、バッグに入ったゴルフシューズやら、ほかの荷物も持ったまま、ノコノコついて行こうとする。どこへ行くんだ?なんで、シューズを手に持っている? こんなことしてたら、前のパーティーにおいていかれるんだが。と、訝っているところで目が覚めた。ふう、夢か。

 夢って、不思議だ。解釈を試みようとするが、全く見当がつかない。
 夢には大きく分けて二つある。一つは覚めた途端に中身を忘れるやつ。どうあがいても思い出せないのだ。もう一つが、このゴルフのように、覚めても覚えているやつ。違いは何だろうか。
 テキトーだが、忘れるやつは、意識が別世界に飛んでいるタイプ。で、覚えているやつは、この世の潜在意識か何かが見ているタイプだという解釈を与えている。因みに、ほぼ毎晩、夢を見る。多いときは3つくらい。そして全てカラーだ。夢は白黒という話も聞くが、それはない。
 それはさておき、何故2タイプに分類できるかというと、前者の場合、現実世界とは全く無関係な場所、登場人物、ストーリーを体験しているのに、後者は、現実世界の延長線上の登場人物ー家族・親戚・友人ーが登場し、職場やら学校、誰かの家が舞台になっているからである。
 後者のケースでは、希に、死んだ人が出てくることもあるが、それはあの世からのご挨拶だろうと思っている。それから、もう何年も遭っていない人が突然出てくることもある。この場合は、その人の安否が少し気になる。

 あとよく見る夢が、オシッコに行きたくてしょうがなくなる夢。これは現実に即している。オシッコ行きたいのだ。で、トイレを探すのだが、大概まともなトイレが見つからない。夢の中では、ゴミ箱の中にオシッコするとか、大きな穴があってトイレと思ったら、下を覗くとそこは誰かの部屋だったりする。うわー、こいつはトイレの中に住んでいるのか!と驚いたところで目が覚める寸法だ。
 不思議なのは、夢の中では放尿してるのに、目覚めてみると寝小便していないことだ。セーフ。


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