前立腺癌の治療を東大放射線科で受けるには、予約が必要であった。電話で話すと、紹介状やら診断書関係の資料をファックスするように言われた。
プレパラートとかいうCDだかフロッピーだかを郵送する必要もあったが、なんだかんだで2週間後には診断の予約が取れた。
東大病院。。。オレも愈々東大に行く身分になったかという感慨。。。上野不忍池の裏手である。病院が東大キャンパスの中にあり、その東大自体がこんな場所にあるということを初めて知った。
担当医は山チャン(仮名)である。診断時、何故か名刺をもらった。オレの名刺も渡した。オモロイな、山チャン。先々の予約も、直メールで良いという。オモロイぞ。そっちの方が、話が手っ取り早いということだろう。さすが、東大だ。ワラ
問診の結果、MRIと骨シンチ(骨に転移がないかを調べる)という検査を受けることになり、その後に、どっちでもいいと言われたのだが、今いまの状況を把握するべく生検を受けることに決した。
治療方針はそれらの検査の結果を受けての判断になるという。で、只痛い目に遭うために、本郷くんだりまで出掛けるのはいやだったので、地元でやる、という話になった。
年を越した後、MRIと骨シンチの検査を東大で受けた。それらの結果が出るのを見計らい、生検の予約の為に地元の有紀のところに戻った。
そして相談の結果、10日後の2月4日からの2泊3日コースとなった。実際は、ガクブルである。あの痛い痛いをもう一度やるのだ。ざけんなよな。
入院当日朝、幸い個室が取れた。個室料金、一日7,700円で3日なので宿泊料金はしめて23,100円なり。この時点で、既に覚悟(諦念か)が出来ていたと思う。好きにしろ。ワラ
Day1
朝10時に入院手続きを済ませる。部屋に案内されると、オレは気分オフモードに突入。看護師のおばちゃんがやってきて、早速点滴が始まる。何で点滴するのかは理解していない。
やがて昼飯を与えられると、しばし休憩。Wifiはあるのだが、オレの個室は電波が悪い。そうこうしているうちに、死刑執行人がオレを呼びに来た。
泌尿器科の手術室には、死刑執行立会人のオバチャンが嬉しそうに出迎えてくれる。「はい、そこのベッドに横になって、ケツ出してぇ」とか言われながら、言うとおりにすると、オレのケツをピシャピシャ叩く。
やがて、死刑執行人の有紀が嬉しそうに入ってくる。「はい、じゃぁ始めましょう」的なコトを言うと、ヤツは、容赦なくオレの肛門内部に指を突っ込む。すると、何やら塗りたくる。まぁ、麻酔薬だろう。その後、麻酔の注射だ。オレは、多めによろしくと懇願する。「あいよ」と有紀は愛想良く返事する。ワラ
今日の仕置きは12発。前回と一緒だ。なんだかわからんモノがケツの中に入ってくる。「いくよ」「あいよ」の合いの手と共に、バチンと音がする。「うっ」と思うのだが、前回ほどの痛みはない。小娘にやられている分、多少なりとも気分が和らぐのかもしれない。ワラ
見たことのないモシャモシャ頭のオヤジがいつの間にか来ている。有紀のお目付役に違いない。オレは練習台なのだ。ワラ
ホチキスのパチン、パチンという音がつづく。12発は結構長い道のりだ。プローバーだかなんだか分らんが、ツッコまれている棒?の先端がホチキスを打つ場所を微妙に移動する度に、変な痛みを感じる。
その内、肛門の中が、ホカホカしてくる。タバスコを塗りたくられたような、ポッポとする強烈な刺激だ。ここは我慢のしどころ、山場だ。
それでも有紀のおかげかどうか分らんが、進行はスムーズだ。ところが、なんかの拍子に、オレの前立腺君は我慢しきれずに出血した。有紀が、「血が出た~」とか言っている。まぁ、前回も出血はあった。なので、そういうもんだ。
なんとか12発打ち終わり、棒は無事引き抜かれた。そして大量に血がでたので、「止血しま~す」とか有紀がいうと、大量に肛門に包帯をツッコまれた。まぁ、これはオプションサービスだな。ワラ
ここまで、ものの15分程度であったろうか。無罪放免になる。どうにかして、起き上がろうとして、股間を見ると、今度はチンコから出血しているではないか。チンコから血だよ。どうすんだよ。そういえば、ケツに包帯をツッコまれているときに、チンコの先端に、ぬるっという感触があった。
有紀の姿はもうなく、仕方なく立会人のオバチャンに、チンコが大変だ!と訴えた。ワラ すると、オバチャンは、ぞんざいにチンコについた血を拭き取ってくれたのである。
処置室を出ると、部屋付きのオバチャンが、オレを迎えに来てくれた。ケツの中が熱い。。。何故かは知らんが、車椅子に載せられ、病室へと戻ったのであった。
部屋に戻ると、また点滴タイムが夕方までつづく。生理食塩水と抗生物質系のパックの2本だ。そして、とにかく水を飲めと言われた。前立腺から出血した血が固まると、小便が出にくくなる、という。出が悪くなると、今度はチンコ串刺しの刑がまっているとモシャモシャに脅される。ワラ
幸いにも、小便はひっきりなしに出た。が、有紀にツッコまれた血の包帯が、尻尾のようにケツから垂れ下がってくる。これが邪魔だった。自分でツッコミ返す勇気はない。
血は止まった訳でもなく、パンツは血まみれだ。
夕方、「あとで詰め物を取りに行くね~」と言っていた有紀がやってきた。早速、これなんとかしてくれと言って、ようやく尻尾を取り除いて貰ったのである。
小便の度に血尿がでたが、大きな出血は、その日のうちには止まったようであった。
Day2
二日目は、終日点滴である。生理食塩水と抗生物質的なヤツを時間を掛けて注入する。暇と言えば暇である。昼寝するか、メシを食うか、仕事の電話会議を傍聴するかくらいしかやることはなかった。
午後に有紀がきた。この病院に来てまだ半年なのに、上の命令で2ヶ月後には別の病院に転勤することになったと言った。実は、知ってた。が、オレは知らんふりして驚いて見せた。
で、後任は、美人の女医が来るとも言った。なので、有紀も美人だと言ったら、これ以上ないくらい顔を真っ赤にして、「いやいやいや、私なんか、レースにならないですぅ」と即座に否定した。いや、オマエ、その顔の赤らめ方から察するに、勝負してんだろ。。。とはさすがに言えなかった。
初いヤツだなぁ。女医ではあるが、ちょっとペットにしたくなった。ワラ
Day3
この日は、朝飯の後の退院の手続きだけだった。日曜の朝なので、会計は後日。2泊3日の旅の総費用は、5万7千円なり。あとで、請求書が来て知った次第。
有紀に2週間は飲むなと言われた酒を、その夜は飲んで退院を祝った。とりあえず、最大の難関をクリアした。
微妙にあった血尿は、4、5日で収まった。
そしてこれは2週間後に分った話であるが、癌細胞に成長の兆しナシ、3年前の生検時の結果と変化無し、という結論であった。毎日、ブロッコリーを食っているせいかもしれない、と思った。
勝者はオレである。ワラ。
プレパラートとかいうCDだかフロッピーだかを郵送する必要もあったが、なんだかんだで2週間後には診断の予約が取れた。
東大病院。。。オレも愈々東大に行く身分になったかという感慨。。。上野不忍池の裏手である。病院が東大キャンパスの中にあり、その東大自体がこんな場所にあるということを初めて知った。
担当医は山チャン(仮名)である。診断時、何故か名刺をもらった。オレの名刺も渡した。オモロイな、山チャン。先々の予約も、直メールで良いという。オモロイぞ。そっちの方が、話が手っ取り早いということだろう。さすが、東大だ。ワラ
問診の結果、MRIと骨シンチ(骨に転移がないかを調べる)という検査を受けることになり、その後に、どっちでもいいと言われたのだが、今いまの状況を把握するべく生検を受けることに決した。
治療方針はそれらの検査の結果を受けての判断になるという。で、只痛い目に遭うために、本郷くんだりまで出掛けるのはいやだったので、地元でやる、という話になった。
年を越した後、MRIと骨シンチの検査を東大で受けた。それらの結果が出るのを見計らい、生検の予約の為に地元の有紀のところに戻った。
そして相談の結果、10日後の2月4日からの2泊3日コースとなった。実際は、ガクブルである。あの痛い痛いをもう一度やるのだ。ざけんなよな。
入院当日朝、幸い個室が取れた。個室料金、一日7,700円で3日なので宿泊料金はしめて23,100円なり。この時点で、既に覚悟(諦念か)が出来ていたと思う。好きにしろ。ワラ
Day1
朝10時に入院手続きを済ませる。部屋に案内されると、オレは気分オフモードに突入。看護師のおばちゃんがやってきて、早速点滴が始まる。何で点滴するのかは理解していない。
やがて昼飯を与えられると、しばし休憩。Wifiはあるのだが、オレの個室は電波が悪い。そうこうしているうちに、死刑執行人がオレを呼びに来た。
泌尿器科の手術室には、死刑執行立会人のオバチャンが嬉しそうに出迎えてくれる。「はい、そこのベッドに横になって、ケツ出してぇ」とか言われながら、言うとおりにすると、オレのケツをピシャピシャ叩く。
やがて、死刑執行人の有紀が嬉しそうに入ってくる。「はい、じゃぁ始めましょう」的なコトを言うと、ヤツは、容赦なくオレの肛門内部に指を突っ込む。すると、何やら塗りたくる。まぁ、麻酔薬だろう。その後、麻酔の注射だ。オレは、多めによろしくと懇願する。「あいよ」と有紀は愛想良く返事する。ワラ
今日の仕置きは12発。前回と一緒だ。なんだかわからんモノがケツの中に入ってくる。「いくよ」「あいよ」の合いの手と共に、バチンと音がする。「うっ」と思うのだが、前回ほどの痛みはない。小娘にやられている分、多少なりとも気分が和らぐのかもしれない。ワラ
見たことのないモシャモシャ頭のオヤジがいつの間にか来ている。有紀のお目付役に違いない。オレは練習台なのだ。ワラ
ホチキスのパチン、パチンという音がつづく。12発は結構長い道のりだ。プローバーだかなんだか分らんが、ツッコまれている棒?の先端がホチキスを打つ場所を微妙に移動する度に、変な痛みを感じる。
その内、肛門の中が、ホカホカしてくる。タバスコを塗りたくられたような、ポッポとする強烈な刺激だ。ここは我慢のしどころ、山場だ。
それでも有紀のおかげかどうか分らんが、進行はスムーズだ。ところが、なんかの拍子に、オレの前立腺君は我慢しきれずに出血した。有紀が、「血が出た~」とか言っている。まぁ、前回も出血はあった。なので、そういうもんだ。
なんとか12発打ち終わり、棒は無事引き抜かれた。そして大量に血がでたので、「止血しま~す」とか有紀がいうと、大量に肛門に包帯をツッコまれた。まぁ、これはオプションサービスだな。ワラ
ここまで、ものの15分程度であったろうか。無罪放免になる。どうにかして、起き上がろうとして、股間を見ると、今度はチンコから出血しているではないか。チンコから血だよ。どうすんだよ。そういえば、ケツに包帯をツッコまれているときに、チンコの先端に、ぬるっという感触があった。
有紀の姿はもうなく、仕方なく立会人のオバチャンに、チンコが大変だ!と訴えた。ワラ すると、オバチャンは、ぞんざいにチンコについた血を拭き取ってくれたのである。
処置室を出ると、部屋付きのオバチャンが、オレを迎えに来てくれた。ケツの中が熱い。。。何故かは知らんが、車椅子に載せられ、病室へと戻ったのであった。
部屋に戻ると、また点滴タイムが夕方までつづく。生理食塩水と抗生物質系のパックの2本だ。そして、とにかく水を飲めと言われた。前立腺から出血した血が固まると、小便が出にくくなる、という。出が悪くなると、今度はチンコ串刺しの刑がまっているとモシャモシャに脅される。ワラ
幸いにも、小便はひっきりなしに出た。が、有紀にツッコまれた血の包帯が、尻尾のようにケツから垂れ下がってくる。これが邪魔だった。自分でツッコミ返す勇気はない。
血は止まった訳でもなく、パンツは血まみれだ。
夕方、「あとで詰め物を取りに行くね~」と言っていた有紀がやってきた。早速、これなんとかしてくれと言って、ようやく尻尾を取り除いて貰ったのである。
小便の度に血尿がでたが、大きな出血は、その日のうちには止まったようであった。
Day2
二日目は、終日点滴である。生理食塩水と抗生物質的なヤツを時間を掛けて注入する。暇と言えば暇である。昼寝するか、メシを食うか、仕事の電話会議を傍聴するかくらいしかやることはなかった。
午後に有紀がきた。この病院に来てまだ半年なのに、上の命令で2ヶ月後には別の病院に転勤することになったと言った。実は、知ってた。が、オレは知らんふりして驚いて見せた。
で、後任は、美人の女医が来るとも言った。なので、有紀も美人だと言ったら、これ以上ないくらい顔を真っ赤にして、「いやいやいや、私なんか、レースにならないですぅ」と即座に否定した。いや、オマエ、その顔の赤らめ方から察するに、勝負してんだろ。。。とはさすがに言えなかった。
初いヤツだなぁ。女医ではあるが、ちょっとペットにしたくなった。ワラ
Day3
この日は、朝飯の後の退院の手続きだけだった。日曜の朝なので、会計は後日。2泊3日の旅の総費用は、5万7千円なり。あとで、請求書が来て知った次第。
有紀に2週間は飲むなと言われた酒を、その夜は飲んで退院を祝った。とりあえず、最大の難関をクリアした。
微妙にあった血尿は、4、5日で収まった。
そしてこれは2週間後に分った話であるが、癌細胞に成長の兆しナシ、3年前の生検時の結果と変化無し、という結論であった。毎日、ブロッコリーを食っているせいかもしれない、と思った。
勝者はオレである。ワラ。