日本に来る外国人がめっきり増えたが、驚かされることが二つある。ひとつは、日本語を話せるひとが普通にいるということ、もうひとつは、箸をちゃんと持てるひとが思いのほか増えたということ。

 オレは箸の持ち方を学びたい外国人には、積極的にアドバイスしている。そんな今日この頃だ。

 何年か前に、JTのテレビCMで白人の美しいお姉さんが、庭のキレイな京都辺りの和室で、料理を食しながら日本文化かなにかを語る場面があった。が、ひどかったのは、彼女の箸の持ち方である。小学校低学年の持ち方だろう。殊更に目に付いた。
 よくもまぁ、食品メーカーのコマーシャルでこんな見てくれだけの女を使ったなぁという印象を持った。その後見なくなったが、広告製作会社も相当な阿呆だと思った。そんなJTだが、今は株を200株もっている。ワラ

 バラエティでも食レポシーンというモノをよく見かけるが、ひどいのはやはり碌な箸の握り方もしていないどこかの大御所のふざけたレポートだ。
 子供の時の家庭での躾がなっていなかったのだろうという見立ては当たらずとも遠からずだろう。確かに庶民にとって昭和はそういう時代だったのかもしれないが。

 これももう何年も前の話だが、東南アジア方面へ出張に出掛けたときのことだ。外食の際、台湾やシンガポールの若者達の箸の持ち方がとてもひどいことに気が付いた。
 多分経済が急発展していた時期に符合した。家庭での躾け・教育から経済の発展へと国民の意識が向いていた時代。
 その間に、欧米系の人々が追いついてきた。今はそんな構図かも知れない。

 オレは人を見るとき、人となりを判断する基準として、この箸も持ち方に特別な注意を払う。
 日本人として、箸をちゃんと持てないということは、どういうことか。そういう思いだ。一日に最低一度くらいは使う道具である。これを正しく扱えないと言うことは、それだけ基本・基礎を軽視していることに他ならない。
 箸も碌に使えない。そういう人物に仕事が任せられるのか。きっと見えないところでなにかを端折っている。なにかを軽んじている。

 子供には色々教えることはしなかったオレだが、箸の持ち方だけは厳しく指導した。何年も経って、そのことを感謝されたのは記憶には新しい。