父親が亡くなって6年である。あの時の葬式やら相続の手続きやら、思い出しただけでもぞっとする。似たようなことを最低もう一度やらなければならない。これは考えただけで面倒だ。
 結局は先に死んだもんがちである。その意味では死に方もよく考えなければならない。ワラ。
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 葬式の有りようについては、コロナのおかげで世の中大分簡略化の方向に進んできた。最近はご近所でも、誰かが亡くなってもわかりにくくなっているのも事実。隣家の母君が亡くなったことを何週間も経ってから知るケースも実際にある。

 最近は石原慎太郎氏のように、遺骨は海に流してくれ、でもいい気がしている。

 正直言って、法事・法要は大人のオママゴトである。この先、大飢饉でも来て、生きるか死ぬかの瀬戸際になったら、真っ先に切り捨てられるのが、法要に限らず儀典・慣習の類いである。
 なので、経を唱えてみても、故人を偲ぶとか、念仏が有り難いとか、そのような感傷は湧きにくい。まぁ霊感的な感覚があるので、死者とも繋がっている感を常日頃もっているオレとしては当り前といえばその通りである。

 そうは言っても、このオママゴトには付き合わないといけない。なので、七回忌の法要を敢行した。我が家の菩提寺は正法寺である。「鎌倉殿の13人」でも紹介された比企能員縁の古刹である。

 さて、七回忌の後の宴であるが、前回は、乾杯したので、今回は献杯!とした。唯一、気を遣ったのはそのことと、弁当の数を間違えなかったかの二点である。
 なお、お布施は7万円であった。
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 近年、仏教の哲学と最新の量子論が似たようなことを言いつつある。オレ的にはそっちの方向の発展が一番気になっている。

 ところで、亡くなって6年目なのに何故七回忌なのか調べてみた。すると、わかった。死んだその日を一回忌とするんだそうだ。これで、2年目が三回忌となった理由も分った。寺が便法をもってして、1年先取りしているわけではなさそうだ。
 因みに、7の次は13である。そのあとが三十三回忌だろうか。そのころには、オレも鬼籍に入っているはずだ。ざまぁ。ワラ。
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 バドのメンバーから茄子を大量にいただき、ペペロンチーノのレシピを教えて貰ったので、早速作ってみた。レシピと言っても、オリーブオイルとニンニク、塩と鷹の爪一つで炒めれば出来上がる。酒のつまみに持って来いである。
 ベジタリアンへの道、第一歩であろうか。